出雲大神社内に古墳⁉️

先日受験生の気分転換のドライブがてら

縁結びで有名な京都亀岡市の出雲大神社に。

本殿やそのほか大小のお社が点在し、

山自体が御神体なのかなと思うくらい

澄んだ空気に包まれていました。

春日社と書かれた立て看板の奥にまさかの『古墳』の文字‼️

どこが墳丘でどのような形なのかは全くわからず…

社務所でもお聞きしたけれど「わからないです」のお返事だったので調べてみると、

出雲遺跡現地説明会資料では『出雲部式古墳』(円墳、墳丘直径19m)と記載されていました。

石製腕飾りなどが出土したらしいです。

縁結び神社での古墳との『ご縁』にかなり興奮してしまい、お隣には御神体の『磐座』がありましたがご挨拶がおざなりになってしまったので罰あたるかな…😭😭😭

神社やお寺と密着した古墳ってけっこうあり

古墳の上や横に神社があり

個人的には古墳に行ったら神社があった‼️

って感覚が多いので、今回のようながっつり神社に参拝に行ったら古墳があったというのは棚ぼた的にめちゃくちゃ嬉しかった✨✨✨

円墳遺構を確認、石釧を発見 亀岡市で最古級 出雲遺跡
弥生時代後期から鎌倉時代の複合遺跡である出雲遺跡(京都府亀岡市千歳町)を調査していた亀岡市教委は10日、同市では最古級となる古墳時代前期(4世紀後半)の円墳の遺構を確認し、周濠部分からは腕輪形石製品「石釧(いしくしろ)」1点が見つかったと発表した。口丹波の古墳で、石釧の発見は3例目。市教委は「被葬者は、南丹市園部町の垣内(かいち)古墳を造った口丹波の最高権力者に次ぐ地位にあったとみられる」としている。 国営ほ場整備事業に伴い、市教委が昨年10月から調査していた。円墳は直径約19メートルで、副葬品などから古墳時代前期の築造と判明。地名から「出雲武式(ぶしき)古墳」と名付けられた。 この円墳を囲む周壕の北部から薄緑色の石釧が見つかった。緑色凝灰岩で造られており、直径約9センチ、高さ約2センチ。石釧は当時、貴重な器具で、有力者の副葬品として用いられたという。 口丹波ではこれまでに、同時期の垣内古墳と向山古墳(亀岡市篠町)で石釧が発見されている。各古墳の規模や出土遺物などから、市教委は「垣内古墳を造った口丹波の最有力首長のもとで、出雲武式古墳と向山古墳の首長が地域を治めていた」と考察している。 また、一連の石釧は山陰産か北陸産とみられ、市教委は「この地方に支配を及ぼしていた大和朝廷が、垣内古墳の首長を介して出雲武式古墳の首長に石釧を渡したのではないか」としている。 石釧は、出雲武式古墳につながる通路のすぐ脇の周濠の底から木製品とともに見つかり、意図的に置かれたとみられる。こうした出土形態は府内で初めてで、市教委は「被葬者の埋葬儀礼が通路上で営まれた可能性がある」とみている。 (京都新聞
出雲武式古墳から見つかった石釧。口丹波で3例目の発見となる(亀岡市千歳町)

京都新聞

http://www2.odn.ne.jp/kofun/idumobusiki.htm